「悩みを自覚出来ていない」事と「何も悩みが無い事」は、別だと思うのです。
そしてうまく説明出来ない悩みに「共感」してもらえたというよろこびは、人生を変える力があると思います。
私は子供の頃、いじめに合っていました。
だんだん「笑い方」がわからなくなりました。
自分が何をしても笑われる気がするのです。
どうゆう風にどのタイミングでどのように振る舞えば良いのか、ちっとも解らなくなってしまったのです。
当時は不登校が出来る時代ではなかったのが、私にとっては幸いとも言えたかも知れません。
その中で「あの人の振る舞い方は感じがいいなぁ」と思う人がいました。
ある時、その人の真似をしてみました。
(その人は積極的に私を庇ってはくれなかったけれど、積極的にいじめに参加するタイプでも無かったので。
当時はそんな人でも有り難かったのです)
その人の真似はうまく行きました。
そのうちまた笑えるようになったのです。
高校2年生ぐらいになると友人もできるようになってきて、いじめられることも少なくなりました。
でも、どうやら周囲からは「明るくて脳天気な奴」と思われていた様です。
「自分は頭が良くないから、そう思われてもしょうがない」と思っていました。
理解されない事には慣れていました。
(本当は慣れていたのではなくて諦めていたのだけれど)
社会人になっても状況は変わりませんでした。
20代の殆どを「出来の悪いOL」として過ごしました。
当然、自信なんかありませんでした。
20代後半で手に職をつけたら、居場所が見つかりました。
CG(コンピューターグラフィック)の開発の仕事は自分に向いていました。
仕事のスピードやクオリティを褒めてもらえる。
映像会社やゲーム会社は居心地が良い場所でした。
仕事さえ出来れば、誰も私を馬鹿にしないので。
そうしたら仕事のしすぎで腱鞘炎になったのです。
居場所だと思っていたゲーム会社は結局、辞めました。
翠猫館を立ち上げ「ゲーム会社には出来ないコンテンツの制作」を考えていた時、
「アダルト・チルドレン」という言葉をきちんと知りました。
(お恥ずかしながら他人事だと思っていたのです)
「自分のことだ!」と思いました。
初めて「自分は脳天気だったのではなくて、抱えていたものを表現する事が出来なかったのだ」という事を知ったのです。
自覚していない悩みは説明出来ない。
共感を得にくい悩みは、表現する事も難しい。
変な言い方になるのですが
「自分もまたちゃんと苦しんできたのだ、ただの脳天気じゃなかったのだ」
と、初めて思えたのです。
そうして自分を認める事が出来るようになってきたのです。
だんだん「同じように苦しんでいる人を助けたい」と思うようになりました。
人にうまく説明出来ない苦しみ、まわりの人に共感してもらいにくい苦しみという問題は、人の心をどこか孤立させ、「温かさから切り離された感じ」にしてしまうからです。
しかもこれらの問題を抱えたままでいると、特に恋愛に関してトラブルのもとになりやすい事もだんだん解ってきました。
回避策はあるのです。
いや、回復策というべきでしょうか。
ならそれを届けようと思うのです。
幸いゲーム会社を辞めた私は、企画を握りつぶされる事もありません。
リスクは自分で取るのです。
翠猫館は「自分に自信を持てないでいる」人の、背中を押してあげる会社でありたいと思います。
私達は全員例外なく幸せになるために産まれてきたのです。
本当にそこに例外はないのです。
【月猫恋愛行動学】は、この言葉を噛みしめながら、開発してきました。
どうぞ、まずあなたから幸せになって下さい。翠猫館は心からそれを願っています。
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